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<戦後のアマ無線再開で関東第1号のコールサインを取得>中日新聞ニュースサイト、「戦後70年 わたしの記念日」で庄野久男氏・JA1AAを単独取材

7月15日付け中日新聞のニュースサイト「CHUNICHI Web」は、「戦後70年 わたしの記念日」という企画記事の第4弾として、96歳になるアマチュア無線家の庄野久男氏・JA1AAを紹介した。1938(昭和13)年に19歳でアマチュア無線の免許を取得たときの様子から、終戦を迎え、戦後のアマチュア無線開放で(関東エリアの)再開第1号を意味する「JA1AA」のコールサインを1952(昭和27)年7月29日に電波監理委員会から交付された、無線再開を認める貴重な予備免許状などが記事で紹介されている。

 

 

 

 

 庄野久男氏・JA1AAはアマチュア無線家にとって大先輩でもあり、パイオニア的な存在だ。過去にQSOを楽しんだという経験をお持ちの方も多くいるだろう。CQ ham radio誌など専門誌にも多数の執筆がある。96歳の現在もまだまだ無線への意欲は衰えていない。

 

 記事によると、当時、最先端の通信手段に憧れ、19歳のときにアマチュア無線の免許を取得した庄野氏は、太平洋戦争の勃発でスパイ行為に使われるとして無線交信は禁じられ、軍の電探(レーダー)開発に従事することとなったという。

 そして終戦をむかえるが、占領下における連合国軍総司令部(GHQ)はアマチュア無線の禁止を解かなかった。終戦から7年後の1952年にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本が主権を取り戻し、庄野氏にアマチュア無線で(関東エリアの)再開後第1号を意味する「JA1AA」のコールサインが交付された。

 

 

 庄野久男氏・JA1AAの写真などは、下記関連リンクの中日新聞ニュースサイトで確認できる。また、ブログ「『永遠のラジオ少年』アマ無線JR1OEI」では、「JA1AA 庄野久男OM 中日新聞・東京新聞 戦後70周年記念特集記事の取材」と題して、取材の様子が紹介されている。

 

 

 

 

●関連リンク:

・<戦後70年 わたしの記念日>(4)庄野久男さん(中日新聞・CHUNICHI Web)

・JA1AA 庄野久男OM 中日新聞・東京新聞 戦後70周年記念特集記事の取材(「永遠のラジオ少年」アマ無線JR1OEI)

 

 

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