著名なDXerおよびDXペディショナーでCQ DX Hall of Fame(DXの殿堂)入りを果たし、IARU第3地域の元理事でもあったJA1BK 溝口皖司氏(ハンドルネーム “Kan” )が、2026年5月に93歳で逝去した。同氏はARRL Maxim Societyのフェロー・クラスのメンバーでもあった。

JA1BK 溝口皖司氏(写真:ARRL NEWS=2016年のデイトン・ハムベンションでKW9A Dave Patton氏が撮影)
溝口氏は1952年にアマチュア無線局の免許を取得、アジアおよび太平洋地域の大部分を管轄する国際アマチュア無線連合 第3地域(IARU Region 3)の設立に関わり、1968年から1975年まで理事を務めた。
(hamlife.jp注釈:溝口皖司氏は1966年から1972年まで社団法人時代のJARL理事も務めている)
同氏のDXingへの関心は「DX局を追う側(チェイサー)」と「自らがDX局になって運用すること(アクティベーター)」の両方に及び、新たなエンティティーを開拓し、それらの地域から初めてオンエアーさせることに貢献した功績で知られている。その中には、マルケサス諸島、オーストラル諸島、チェスターフィールド諸島、デューシー島、スウェイン島などが含まれている。
溝口氏は競争力のあるDXステーションを構築し、DXerとして成功を収め、その実績はDXCCの受賞歴にも反映されている。同氏はDXCCのMixedで383エンティティー、Phoneで382エンティティー(世界トップ10入り)、CWで354エンティティーを達成。またMixed、Phone、CWの各カテゴリーにおいて現存する全340エンティティーを達成しオナーロールのトップに名を連ねた。また特筆されるところでは6mバンドでの271エンティティーという記録で、これは世界8位、アジア1位という驚異的な成績だった。
さらに人気のある「DXCCチャレンジ」では3,252エンティティーを達成し世界9位にランクインした。このチャレンジへの関心を深める中で、同氏は過去のログを基に未確認だった交信の確認(QSLカードの入手など)を試みたが、多くの相手局のログがすでに廃棄されたり紛失していることを知った。そこで特にユニークな運用や希少な運用のログを保存する方法を模索し、2014年にはそうしたログを収集・分類・デジタル化するARRLの「DX Log Archive」に資金を提供した(ARRLニュースの2014年8月24日付けに掲載)。
溝口氏はDXコンベンションで頻繁に講演を行い、1987年には日本のアマチュア無線家では初めて「CQ DX Hall of Fame(DXの殿堂)」入りを果たした。2000年にARRLのスタッフを退任したBill Kennamer氏(K5FUV)は次のように記している。
「私がKanと初めて会ったのは30年以上前のことで、長年にわたり親しい友情を育んできた。私たちはいくつかのDXペディションを共に運営し、いくつかのコンベンションにも一緒に参加した。彼は長年にわたり数多くの主要なDXペディションを強力な資金面で支え、ARRLの有力な支援者でもあり、折に触れて私たち全員に “New One” をもたらしてくれた。彼の死は本当に寂しいことだ」
溝口氏は1950年代初頭に東京大学で工学の学位を取得し、日本における半導体製造装置の輸入権を持つ会社を設立した。60歳で同社を引退し、従業員に会社を譲り渡した。その後、個人経営の技術設計会社を立ち上げて数年間運営した。
本記事の情報提供をしてくださったDave Patton氏(KW9A)に感謝する。(ARRLニュース2026年7月23日 ※許可を受けて抄訳/(C)ARRL)
溝口皖司氏の逝去に心からお悔やみ申し上げます。(hamlife.jp)
こちらの記事も参考に(2014年9月1日掲載)↓
ARRL、日本の著名DXerからの寄付により「DX Log アーカイブ・プログラム」をサポート
(2015年7月9日掲載)↓
<JA局では3人目の快挙!>米国CQ誌「CQ Amateur Radio Hall of Fame」、JH1AJT・宮澤保夫氏の“殿堂入り”を仲間たちが祝う
●関連リンク:
・DXer and DXpeditioner Kan Mizoguchi, JA1BK, Silent Key(ARRL NEWS)
・JA1BK/SK2026(QRZ.com)
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