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<クロストーク「本土復帰50年~復帰前の沖縄アマチュア無線を振り返る~」>JARL沖縄県支部主催「令和4年度ローカル・ミーティング」の模様

一般社団法人 日本アマチュア無線連盟(JARL)沖縄県支部は2022年7月17日、沖縄県島尻郡の八重瀬町中央公民館で「令和4年度ローカル・ミーティング」を開催した。当日は沖縄復帰50周年記念局「8N650JP/6」公開運用のほか、アイボール会、ジャンク市のほか、午後からはメインイベントとして「復帰前の沖縄アマチュア無線を振り返る」というテーマのクロストークが行われた。

 

 

 

 関係者から届いた当日のリポートを一部整理して以下に紹介する。

 


 

 7月17日、八重瀬町中央公民館において「令和4年度ローカル・ミーティング」が開催されました。コロナ禍で昨年一昨年と行われず、3年ぶりの開催です。入り口にて検温と手指消毒、さらに連絡先の記入がありました。昨年は沖縄県(当時は琉球政府下)でアマチュア無線家が誕生して60周年、今年は沖縄県復帰50周年という節目の年です。復帰前を知るOMの方々がサイレントキーとなる中、昨年イベントが行えなかったのは非常に残念でした。

 

 八重瀬町のご厚意で、オープンスペースにアンテナ設置場所の許可を頂いたのでV型ダイポールと50MHz帯の2エレを設置しました(ベース部分は米軍の払い下げ品です。これがかなりの重さで運ぶのに苦労します)。

 

オープンスペースにV型ダイポールと50MHz帯の2エレを設置

 

 会場のホール内では懐かしい資料や、「沖縄アマチュア無線20周年記念式典」の記事などが紹介されました。

 

雑誌に掲載された「沖縄アマチュア無線20周年記念式典」や、沖縄のOM紹介記事を掲示(2枚の画像を簡易合成)

懐かしい無線雑誌やコールブックなどを展示

無線機の展示コーナー

 

 また、コリンズや自作リグなども展示されました。実際に電源も入り、アンテナを繋げば受信できるそうです。

 

1960年代に活躍したコリンズの無線機やリニアアンプを展示

JR6AF 東氏が1960年代に自作したSSBリグ。それを紹介する新聞記事も展示した

 

 会場内では沖縄復帰50周年記念局「8N650JP/6」の運用もスタートしましたが、あいにくのコンディションでした。もしかしてアンテナが繋がっていないのではないか? と疑うほど静かで、一日を通じて交信できたのは3局ほどでした。

 

沖縄復帰50周年記念局「8N650JP/6」の運用風景、OPはJR6RMK 普久原氏

 

 

◆クロストーク「本土復帰50年~復帰前の沖縄アマチュア無線を振り返る~」

 

 午後にはメインイベント「本土復帰50年~復帰前の沖縄アマチュア無線を振り返る~」をテーマとしたクロストークが行われました。

 

クロストーク「本土復帰50年 ~復帰前の沖縄アマチュア無線を振り返る~」模様

左はJR6AG(ex.KR8AG)髙良剋夫氏、右はJR6AF(ex.KR8AF)東 伸三氏。進行役は沖縄県支部長のJS6PSH 波平氏

 

 まず支部長からお二方の経歴が簡単に紹介されました。JR6AF 東 伸三氏は1936(昭和11)年生まれで、元・FM沖縄の副社長をお務めになりました。現在は沖縄県電波適性利用推進員のメンバーで沖縄アマチュア無線の先駆者のお一人です。またJR6AG 髙良剋夫氏は1945(昭和20)年生まれで元・NTT職員、JARL沖縄県支部支部長を歴任されました。現在は琉球アマチュア無線クラブ(JR6YAA)の会長をされています。
 以下、当日のクロストークから抜粋で紹介します。

 

■どのような少年時代だったか?
JR6AF:スクラップや戦車の集積所などから部品を集めては分解したりして遊んだ。小学校時代には鉱石ラジオやスパイダーコイルを作成。5球のスーパーラジオを1年かけて製作。BBCやABCを聞いて楽しんでいた。高校時代に雑誌でアマチュア無線の存在を知り、その後、那覇高校物理クラブで楽しんだ。

 

JR6AG:電解コンデンサを分解して遊んでいた。終戦後の沖縄は物資不足が顕著だった。小5の時、3歳上の兄の教科書で鉱石ラジオを見て、かっこいいと思うとともに、雑誌「子供の科学」に掲載されているバリコン、スパイダーコイル、真空管の写真や記事にときめいた。中3の時「中学生がアマチュア無線免許を最年少で取得」の記事が掲載されており、それでアマチュア無線を知った。早速JARLにハガキで問い合わせるものの、沖縄では許可になっていないことを知って愕然とした。その後、沖縄工業高校電子科時代に許可されることを知った。

 

■沖縄でアマチュア無線が許可になるまで
JR6AF:高3の時「許可されていないなら、許可を受けようじゃないか」と、当時沖縄に駐留していた米国人ハムクラブ(OARC)にも働きかけをお願いした。琉球アマチュア無線研究会を作り、小遣いで受信機や送信機を製作。モールスや電気通信術、法律などの勉強会も行っていた。沖縄住民もアマチュア無線ができるように琉球政府に陳情するが、時期尚早と断られてしまった。

 

JR6AG:1956(昭和31)年頃、当時の高校生を中心にアンカバー活動が始まった。

 

(1974年の収録音源紹介)
 JR6AY 仲地昌京氏は1936(昭和11)年生まれで今年3月10日に逝去。元・琉球放送アナウンサーで那覇高校物理クラブの会長を努めた。「当時隠れて電波を出していたけれども、MPが見回りに来て、機械を大急ぎで隠した」エピソードが紹介された。

 

JR6AG:アンカバーがスパイ活動として使われるよりも、免許を与えてコントロールした方が良いのではないかとの話が出たのかもしれない。米側の都合とこちらの都合が合致して電波法改正に動いたのではないだろうか。

 

 さまざまな活動によって、1960(昭和35)年5月27日に沖縄の電波法が一部改正され、6月24日に施行、アマチュア局の運用が始まった。

 

■沖縄でアマチュア無線が許可になってから
JR6AF:
改正前にJA1BJZ 平安名常功さんは、本土の大学へ進学していて、本土で免許を受けて開局していた。話を聞いて、とても羨ましかったのを覚えている。

 

 1960年7月10日に沖縄アマチュア無線連盟(OARL)を結成し、JA1BJZ 平安名氏が会長を務めた。第1回の資格試験に向けて講習会を開催。その後、33名が合格。翌年6月22日に石橋 勇氏が工事落成検査に合格。KR8ABのコールサインを取得、新聞で紹介された。その後お二方もコールサインを取得。当時はVHF帯とUHF帯は許可されず、今と違うのは3アマに14MHz帯が許可されていた。

 

JR6AG:アマチュア局の空中線電力は出力ではなく、終段管の入力に読み替えられていた。その方が検査も楽だしね。実際にどれくらいの出力があったのかは分からないけれど。また「14.201~14.299MHz」が歯抜けになっていたけれど、たぶん米軍局のフォーンパッチのメイン周波数だったからじゃないかな。

 

 1963(昭和38)年1月27日に琉球アマチュア無線クラブ(RARC)を結成、会長はKR8AL 内間 伸氏。

 

JR6AF:理由はうろ覚えだけれども、復帰後の活動は下火になった。

 

JR6AG:1963(昭和38)年6月1日(電波の日)、那覇市の国際通りにあったデパート「沖縄山形屋」でアマチュア無線の公開運用が行われた。免許は固定局だったので、電監に話して固定局の場所を変更して検査を受けた。

 

 1967(昭和42)年3月31日 KR8AB 石橋氏の働きかけで、KR8局の多くがJARLへ加入。1969(昭和43)年10月18日にJARL九州地方本部長のJA6AX 浦上氏が来沖された際、JARLへの加盟と本土復帰後の呼出符号について要望。その後1971(昭和46)年12月20日に、復帰後のアマチュア局の呼出符号が「JR6AA~JR6NZ」「JR6QUA~JR6ZZZ」とすることが郵政省から通知された。

 

JA6AG:当時、小笠原が日本に復帰した際のプリフィックスは「JD1」だったから、沖縄は「JD6」も良いんじゃない? っていう話もあった。二文字コールについては残してもらうよう一生懸命要望したんだけど、3文字コールについては余り考えていなかったから、Q符号の後が割り当てられたんじゃないかな。

 

(KR8AG局の最後の運用音声を紹介)
JR6AG:パイルアップが凄くてね。最後だから多くと交信したかった。1972(昭和47)年5月14日の23時59分ぎりぎりまで電波を出した。翌日JR6コールになるのだけれど、馴染めなくてすぐに声を出せなかった。

 

■復帰前のラジオ放送「VOA(Voice Of America)」について
JR6AF:
国頭村奥間に500KW送信機×2台=1000kWで共産圏に向けて送信していた。電源は1000kW×3台の自家発電装置があった。送信を始めると周囲の家の蛍光灯が勝手についたり、雨の日は街路樹のフクギの葉が共鳴して鳴いたりしていた。

 

■アマチュア人生を振り返って
JR6AF:
昔はKing of Hobbyだったけれども…、何もないものから一生懸命作っていった。アマチュア無線が人生を方向づけ人生を決めたと思う。

 

JA6AG:同級生からは「まだ今でも無線やっているのか」と言われる。

 

■アマチュア無線の魅力とは
JR6AF:
自分で作って完成させ、世界の見知らぬ人と目に見えない無線でつながっていくところが魅力だ。

 

JA6AG:先人たちのおかげで権利を得て、個人が自由に電波を出せる、ほかにはない趣味だと思う。

 

■後輩たちへのメッセージ
JA6AF:
電波を開拓してきた先人に感謝して続けてほしい。沖縄でコールサインが変わったりするユニークな歴史も踏まえてEnjoyしてほしい。

 

JR6AG:同じくずっと続けていければいいと思う。

 

JR6AG髙良氏とJR6AF東氏

 

 なかなか復帰前の状況を聞く機会はありませんので、とても興味深い内容となりました。13時30分から始まったクロストークは2時間以上にも及びました。その後お二方を交えて記念撮影を行い、ローカル・ミーティングは終了しました。

 

 

 

●関連リンク:JARL沖縄県支部

 

 

 

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